時短を求めていくと味噌汁の手軽さにたどり着く
今週のお題「スープ」
スープというかお味噌汁について語りたい。
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私の実家では、お味噌汁は定番ではありませんでした。母がお吸い物のほうが好きで、澄んだお汁の登場率が高かったです。
かきたま汁、ワカメと卵のスープ、コーンスープなんかはしばしば登場。あとはカレーやシチューや鍋やらの時は汁物は付かないので、お味噌汁はほとんど出てこない。豚汁はレギュラーでした。私が大好物で母の味を褒め称えていたので。それくらいなので父がたまに「結婚してから味噌汁を飲まなくなった」とぼやいていました。自分で作れば?と今の価値観なら思いますが、それだと家族の夕食に間に合わないので無理だったなと。ちなみに父が担当していた料理はドカーンとしたやつです。
朝にお味噌汁のお出汁の香りで目覚める事も経験無く。むしろ小学校の中学年からは私が1番に起きていました。うちは自分で朝食を用意せねばならなかった…などなどにより、お味噌汁とは縁遠く育ってきたわけです。
で、そんな自分が一人暮らしをして働きつつ慣れないご飯を作る時代を経て、それなりにこなせるようになった頃になんやかやと結婚。
結婚当初、私の料理はかなり時間のかかるものでした。味は美味しく作れるけれど、色々とこなれていないのです。人に食べさせることを考えると、自分用ほどには手を抜けず。気負いだけでなく、献立の組み立てやら食器の選定やら盛り付けやらの「コレにはコレ!」をまだ模索中だったのだと今ならわかります。
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色々と試行錯誤のおかげで料理がある程度の安定に至ると、今度は時短を求めるようになりました。子育てと仕事の両立のため、極限に時間が足りない日々が来たのです。
ミルク、離乳食からの好き嫌いの多い幼い子どもに合わせたメニュー。作ったものを捨てるしかない日々は精神的にキツイですが、食べさせるのに必死で時短は求めていませんでした。手軽さは求めていたけれど、振り返ると保育園時代は日々を何とか回せていた。
しかし小学生の親は子どもが家に帰ったあとのやる事の多さが段違いで、しかも学年が上がるごとに増えるのです、なぜか。友達関係やら人間模様も複雑になりますし。手が離れない。予定とは違う!
それはそれとして、私は献立を「主食+主菜+副菜+汁物」をベースにしています。しかし子どもにはこの汁物が中々難しかったです。大人なら具沢山の汁物はありがたいのですが、子どもには具沢山の中に嫌いな野菜が入っていたりすると、それはあんまり好きじゃないものになるわけで。
私は豚汁が大好きなのですが、子どもはゴボウの風味を喜ばないし、小さい頃はなぜか具材の中のコンニャクばかりを好んで、「栄養摂ってー!」となったり。
あと白ネギとベーコンのスープが好きで昔からよく作っていたのですが、我が子はネギ系を好まなかった。煮込んだ玉ねぎも。スープにビタミンが溶け込んでいるけれど、スープだけでお腹を膨らませるわけにいかない問題。多くの子どもに好まれるコーンも好きではないのでコーンスープがレパートリーから外れる。さらに少食なので栄養を摂ってもらうことを考えると、何を優先するか、という問題が発生するのです。
本当にめちゃくちゃ細かく子どもの反応を見つつ献立の構成を調整して幾数年。ひたすら食欲倍増の成長期を待つ日々。それでも少しずつ好きじゃなくても食べてくれるようになったり、好きな味を見つけたりでレパートリーが増えました。
そんな中、私の手抜き&時短の転期は突然やってきます。友達がアマノフーズのお味噌汁のセットを、相談事のお礼にと送ってきてくれたのです!この10食セットが運命を変えたと書きながら気付きました。知ってはいたけれどためらっていたドライのお味噌汁。試すチャンスが突然に。ちなみに、生味噌タイプのインスタントを私はあまり好きじゃなくて、なのでお湯を入れるだけのお味噌汁のハードルが高かった。
このアマノフーズのお味噌汁の中で、子どもは揚げナスとナメコをいたく気に入ります。私がお高めの味噌をブレンドして作っていた大根とお揚げのお味噌汁や、ワカメと豆腐とお揚げのお味噌汁などよりも。私も美味しく感じたので、これはまぁ仕方ない。アマノフーズは納得の美味しさ。
近くのスーパーでアマノフーズの減塩タイプも見つけて、「もういざとなればコレでいいじゃん」と私は心から思いました。減塩の揚げナス味とナメコ味をいくつか備蓄しておいて、時間の無いときはこれで済ませる。子どもも喜ぶ。自分も美味しい。
その後これまで行かなかったスーパーでナメコがとても安く売っていたので買って帰りました。それで作った味噌汁を「美味しい!」と子どもは喜んでくれ、ナメコとお豆腐のお味噌汁がレギュラーに。私は実家でナメコを食べた記憶が無いのですが、我が子が好きなことから実家の母もナメコのお味噌汁を作るようになりました。ナメコ、洗うだけで切らなくていいし楽ですよね。
さらに私はマイバスケットにもデビューし、冷凍食品の中に揚げナスを発見。それでお味噌汁を作ったら簡単で美味しい。今では揚げ茄子は冷凍庫のレギュラーに。アマノフーズを真似て、ワカメと組み合わせてお味噌汁にしています。
そうして、色々食べてくれるようになったりで増えたお味噌汁のレパートリー。冷蔵庫にあるものや時間に合わせてパパッと組み合わせが決められるようになりました。
お味噌汁のいいところは、力加減がものすごく調整しやすいこと。出汁を取る取らない、味噌をブレンドするしない、何なら出汁入りの液体味噌や粉末味噌を使う。具材は多くても少なくてもいい。乾燥具材を投入するだけなんて方法も。豆腐やワカメやお揚げといった定番具材も日持ちするので常備しやすいのも良い。インスタントも生に粉末にフリーズドライと豊富。ちょこっと手を加えたりこだわるとグッと美味しくなる。素晴らしい。
今では子どもはゴボウの入った豚汁を「美味しい」と食べるように。さらにはインスタントよりも手作りのほうを好んでくれるようにもなりました。ここまでの試行錯誤、長かった。でもひとまず報われる段階まで来れて良かったです。
アマノフーズには感謝を込めて、家族へ送りつけて布教しました。友人とはその後も突然のプレゼントを贈り合ったりしています。
健康寿命80年としての人生設計と主な成長や変化のメモ
私は、ひとまず80年生きると仮定して生きることにした。とりあえず決めた。
そして人生設計をまとめてみたい。
主にお金と健康のバランスなど。
80という数字だけれど、生きるも死ぬも決められるくらいの力が残っているのがそれくらいではないかと考えている。
ボケないと仮定。その前に死ぬか最後までボケず達者な頭脳で生きる。あまりボケない家系なので生きるならシャキシャキのはず。
私の年齢のイメージ。
調べたり見聞きしたところでは、75歳まではわりと元気。旅行できる。
そこからグッと動けなくなる。1年ごとに階段を降りるような大きな落差が出てくる。できなくなることが出てくる。
80歳までは色々自分で判断出来る。なんとか突っぱねられる。
そして段々断る力が弱くなる。詐欺だけでなくわかっていても注意しなければならなくなる。
85歳。人によっては一人でも頑張れる。でも定期的な見守りの関係が必要。
90歳。足がいよいよ悪くなる。
95歳。なかなか超えることの難しい壁。
80歳であと何年保つかなと考えることにして、ひとまず80歳まで生きると仮定して準備する。
ほどほどに体が動き、ほどほどに便利なところに暮らし、頭も回ると設定。
動かなかったら何らかの保護を受けているか、そこまで生きないとして考慮しない。
お金……私は月に12万円あればまぁまぁ暮らせると考えている。ちなみに家賃は5万円設定。未来、家は余っているはず。
12万円の内訳
家賃5万円
生活費3万円(食費+日用品)
水道光熱費ネット通信2万円
医療1万円(介護保険料+自分の病院費)
雑費1万円
カツカツですね。遊ぶお金が欲しければ家賃を安く抑えるしかない。地方の公営住宅なら収入からいっても2万円くらいになるはず。
生活費の中でお茶代くらいは出せるでしょう。
服はもうそんなに買わないと思う。
年金
もらう時期…65歳からもらうとする。せめて65歳じゃないと制度としてダメでしょ。70歳からはダメ。70まで生きられない人って結構多いし、70歳まで辛くなく続けられる仕事ってそんなに無いと思うんだよね。
もらえる額…6万~7万かなと。私は免除の時期があったり、厚生年金でない時期が長いので少ないと思う。というか、年金定期便で書いている金額より少ないと考えていて、もう一律6万とかにされるんじゃないかと想像している。マイナンバーもあるし、預金額を政府に把握され、困窮していないと判断されると一律にいくらまで、って決められてしまう未来になるのでは。せいぜい8万円。
これ、6年前に書いて下書きに入れていたものです。
あの時はこんなにインフレが進むなんて思わなかったよ!
その他の年齢イメージは、
35…若者感が薄れはじめる。37になる頃には、それまで若く見えた人も完全に30台の雰囲気に。自分という素材に合う着こなし以外が難しくなってくる。人生の壁も立ちはだかり、何らかの決断を求められる。
45…また大人の階段を登る。後戻りはもはや難しい。老眼が出たりホルモンバランスが崩れたりと、老年期を見据えたライフサイクルを模索しないと健康面でめちゃ困る。マダム感、紳士感がハマるように。
50…若い頃の面影が完全に消える人が出てくる。顔も体型も四角くなる。厚みが増す人と薄いままの人の二極化。たるみに悩む人とシワ感や骨感に悩む人に分かれるとも。ここから数年身体の老化と戦う。
55…老後の自分なりのバランスが見えてくる。足腰の不調が顕著に。諦めてはいけない。使いすぎてもいけない。足が上がらなくなることによる転倒に注意。
60…還暦とよんだり、定年に設定されていただけの理由があるはずの年。いよいよ無理がきかなくなる頃。自分を大事に。それでいて心は若く。わがままではなく自由に。
65…越えるに難しい年。60からの、そしてそれまでの人生の総決算的なタイミング。まだまだ楽しくがんばりたい。おじさんおばさんから、おじいさんおばあさんな雰囲気へと移行完了。
中年期からの年齢変化のイメージがネガティブ?いや、淡々とした気持ち。覚悟を持って乗り越えたいというか、備えたい。そして、あぁ、波を越えて生きているんだなってしみじみする。ある時から本当に病気が身近なことになるから。薬を飲むことが当たり前の日常だし。
子どもの朝食セット
うちの子は少食である。成長期が来たらどれほど食べるのだろうかと震えていたが、高学年になってもまだそこまで食べない。私よりよく食べるときもあるが、私の食べる量が減っているので震えるほどではない。
朝食べるものは決まっている。というか、私が用意したものを気に入らなかったとき用の定番のセットがある。
納豆と玉子豆腐とヨーグルト
日持ちがして、子どもが好むものを常備しようとはじめたもの。我が子はいつしかこれらを「朝食セット」と呼び出した。納豆は決まった1つの銘柄だけ、玉子豆腐も好みが決まっていて、ヨーグルトも食べないものがある。ヨーグルトは4個連結したものはチチヤスヨーグルトのはちみつ以外は好まない。ちょっと高くつく。
食パンをトーストして食べてね、というと「今日は朝食セットにする」とこれらだけを食べたりする。「主食も食べてよ!」と言うもガンとして食べず…みたいな日が長かった。本当にここ最近ようやく食パンを食べるようになったのだ。イングリッシュマフィンやバタースティックやクロワッサンや菓子パンや惣菜パンでなければダメだった。あるいはサンドイッチ。そこへ朝食セットの中からその日の気分で好みのものを食べる。ある日は納豆、ある日は玉子豆腐、ある日はその両方、など。喉がイガイガするときはまずヨーグルトを食べて喉の調子を整えたり。
食パンは私がハムやら卵を乗せてオープンサンドにすると食べるのだが、食パンの耳をずっといやがっていた。それが、山型食パンではなく角食パンなら何とか食べられるように。楽になった。でもまだ自分で焼かない。そこまでして食べたくないらしいのと、時間が足りなくなるから。なら朝食セットだけでいい、となる。
我が子は少食とセットになりがちな、食べるのが遅いという特徴を備えている。朝食セットはするすると喉を通り、食べやすいのである。それもあってこれらを好むのだよね。おにぎりやらパンをメインに、この中から食べるものを選んでいる。
他にゆで卵やサラダや味噌汁などがある時もあるのだが、申し訳ないが無い時が多い。私も自分の手間や時間を優先したいので積極的には用意しない。とくに汁物はあっても食べないことが多いので、前日の晩ご飯が残っていればという感じである。ゆで玉子とマカロニサラダとポテトサラダは猛烈に食べる。なのですぐに無くなり量が必要だけどそんなに作れない。サラダは大きめタッパーいっぱいに作るんだけど、気に入ったものは晩ご飯の時点でモリモリ食べられてしまう。朝は好きでは無いものは食べないので野菜類は用意が難しい。少食なのでカツなど重いものは残っていても食べない。せいぜいスクランブルエッグや目玉焼きやハムやベーコンなどになる。
フルーツは基本的に手間なのでうちは夜に出す。バナナならと思うも我が子は毎日同じものは食べないし、すぐ熟して意外と持たないよねバナナ。朝食セットは特異で、基本は続けて同じものを食べたがらないんだようちの子。ヨーグルトはプレーンヨーグルトを基本にバニラヨーグルトや朝食みかんヨーグルトやはちみつヨーグルト、といった風に複数種類を常備している。
私は子どもの頃から朝食を自分で用意してサクッと食べていたので、我が子の食べなさに途方に暮れる。気持ちとしてはある程度自分でやってほしいが、時間を優先して私が合わせて動いている。寝つきが悪いので朝はなるべく寝かしてやりたく、食べるのが遅いのと量を食べられないので本人が好み食べやすいものを準備してやりたい。私ならパンを焼いて食べるまで10分なのだが、食べるだけで20分かかるのが我が子。いつどうにかなるのだろうとずっと待っている。
あー早く自分で自分の食べる物を準備して出掛けてくれないかな。うちの母は私に関して本当に楽してたよな。と思う。そんでもって、私はやってあげて偉いよなと思いかけるも、ちゃんとした家庭ではもっとしっかりやっているんだろうな、と見たことが無いものを思う。
発展途上国
なんだか最近、発展途上国っていいじゃない。
と思うようになった。
昔はなんだか残念な状態のように思っていたんだけれど。
エネルギーあるっていいなって。
国全体がワクワクしてるんだろうなって。
なんだか今はいいもんだなと思うようになった。
昔海外旅行をしたときその勢いを体感して、あぁこれから発展するってこういう感じなんだと思った。当時はそれをいいとかどうとか考えなかったんだけど。ただ、これから伸びていくときの活気やエネルギーに、「あ、これは日本には無いたぐいのものだ」と感じたのだった。チャンスや入り込める余地なんかもある状態なんだなって。
いつからか発展途上国という語を聞かなくなった。
代わりに新興国という言葉をよく聞くようになった。
発展途上国という言葉を習ったときより実際に発展したわけで。もう発展してしまったというステージに来ていて。
生きているということは、あらゆる物事の途中を見ているのだなぁ。国単位、世界単位の流れを見るなど子どもの頃には想像していなかった。自分の見ているものが歴史になっていくのだ。