戦争と死と与謝野晶子

肉親を亡くし、私は与謝野晶子の詩に込められた想いをはじめてわかった。

 

彼女は、本当に弟が死ぬかもしれないと思い、
死んでほしくないと思い、あの詩を書いたのだ。

君、死にたまふことなかれ。

人は、本来いつなんどき死ぬかわからない。
病や事故や災害など、思いがけず死に出会うかもしれない。
それが、自分ではなく自分の身近な、大事な人に起きたりするのだ。

自分の死を考えることはあるだろう。
祖父母や、親についても考えることはあるだろう。
でも、自分より年少者について思うことは少ないだろう。子ならばあるかもしれないが、あまり考えたくないものだろう。

医療が進み、病が克服され、死というと大往生を思い浮かべるようになった。
昔はそうじゃなかった。
与謝野晶子にとって、戦死は見たことないものではなかったのだ。

病や事故や災害は不慮であるが、戦争での死は不慮という言葉では済まされないだろう。
本当に、ただただ無念で、怒り、辛いものになりそうだ。

生きていくと他者の死を見る。
だからより一層年若い人に生きていてほしくなった。

戦争なんてやってはならない。
死ぬのが自分ではないかもしれないのだから、余計に防ぎたい。